遠藤賢司とは


遠藤 賢司(えんどう けんじ)
エンケン・不滅の男・純音楽家

1947年 1月13日、茨城県勝田市(現ひたちなか市)にて生を受けた遠藤賢司。彼が歌を歌うことに目覚めたのは大学時代。それまでギターを手にしたこともなかった彼がFENでボブ・ディランの「ライク・ア・ローリング・ストーン」を聴き、「自分も何かやろう!」と思い立ち、知人に古賀政男ギターを借りて歌い始めた。

数々のフォークの集いにて自作の歌を歌っているうちに、折からの60年代後半のフォークシーンにおいて徐々にその頭角を現すようになる。彼も他のフォークシンガー同様、ボブ・ディランに影響されてギターを持って歌い始めたのだが、彼が他のフォークシンガーと大きく異なっていたのは、ボブ・ディラン、ドノヴァンからの影響を受けたのと同時期に、ドアーズ、ジミヘン、MC5などからも多大なる影響を受けていたので、ライブでは単なる生ギターの弾き語りのみに留まらず、生ギターのサウンドホールにピックアップ・マイクをつけ、アンプと対峙することにより、轟音を轟かせフィードバックさせるなどのロック的アプローチをすでに60年末から試みていた。実際、彼は(世間一般で言われる)フォークシンガーの中では最も多く“ロック”と名の付くコンサートに出演したという。

『ギター一本で宇宙を表現する』を信条にギターと対峙する奏法は、『琵琶奏法』などと言われるほどの独特の響きを持っていた。そのギター奏法は、68年に初めて関西で演奏した際、軽妙な喋りで観客を引きつけることに躍起になっていた関西フォークの連中に大きな衝撃を与えた。

そして69年2月に発売されたデビューシングル「ほんとだよ/猫が眠ってる」では、武満徹や越天楽の世界からの影響を反映させ、B面の「猫が眠ってる」は、シタールやタブラなどの民族楽器を用いて幻幽の世界を作り出していた。

70年4月には、デビュー前のはっぴいえんど(大滝詠一を除く)が参加したデビューアルバム『niyago』を発表。デビュー作にして早くも現在にまで通ずる遠賢の音楽の魅力を濃縮に詰め込んでいた。

彼は、反戦フォーク全盛の中においても、決して『私たち』とは歌わず、個の日常の心象風景や、人間の中に潜む『情念』の世界を歌い続けてきた。72年、三島由紀夫の割腹自殺の日のことを歌った「カレーライス」が大ヒット。吉田拓郎と共に“フォーク界のプリンス”と言われる(!)

78年、英国でのパンク・ムーヴメント(特にセックス・ピストルズ)に触発されたアルバム『東京ワッショイ』を発表。このアルバムは、フォーク、ロック、パンク、テクノ、ニューミュージックなど、あらゆる音楽を呑み込んで、それを遠賢色に染め上げた、まさに“遠藤賢司の音楽”のひとつの完成型となる。そのノン・ジャンル性は、さらに演歌やムード歌謡の世界をも巻き込んで、大宇宙にある宇宙防衛軍放送局を舞台にした80年の『宇宙防衛軍』において極北に達する。

また、82年には『東京ワッショイ』『宇宙防衛軍』に影響を受けたという長嶺高文監督の「ヘリウッド」に主演。音楽以外にも活動の幅を広げた。

83年に細野晴臣・越美晴が参加したミニアルバム『オムライス』発表後は活動の場をライブ中心へと移し、ひとりでエレキギターとマーシャル・アンプで豪快なライブを展開していたが、88年にはスリーピースのロックバンド「遠藤賢司バンド」(エンケンバンド)を結成。91年にはベースに元・子供バンドの湯川トーベン、ドラムスに日本のパンクバンドのルーツといわれる頭脳警察のトシが加入して、遠藤賢司バンドはさらにソリッドかつハードな世界を追求することになる。

その一方で、デビュー以来一貫している、生ギター一本での弾き語りを決してやめないのは、歪みまくった轟音も、生ギターの消え入りそうな音色も、それが“遠藤賢司の世界”のひとつだからに他ならない。

96年にはミディより、スタジオ録音フルアルバムとしては実に16年振りとなるアルバム『夢よ叫べ』を発表。同時期に、みうらじゅんプロデュースにより、ベテラン若手入り交じっての遠賢トリビュート盤『プログレマン』も発表されるなど、若手ミュージシャンからも数々の熱いエールを送られる。

デビュー30周年となった99年には、自らの楽曲を生ギター1本でセルフ・カバーしたベスト盤『エンケンの四畳半ロック』を発表。このアルバムは1曲をギター(&ハーモニカ)と歌を無編集同時録音にて収録、勢い余って弦の切れる音や、遠賢の息づかいまで余す所なく収録した、紛れもない「純音楽の記録」である。

2000年12月には、来るべき21世紀の初日の出を加賀の潜戸(くけど)に見に行こう!というテーマを元に、16分27秒という、シングルとしては異例の長さの、しかもインスト曲(口上あり)である「エンヤートット~We are 21st century boys & girls!~」を発表。全編に渡って響きわたる、打ち込みによるエンヤートットリズムの音の海にエレキギター、生ギター、キーボード、生ピアノで対決し、更なる純音楽の世界を展開させる。

ソロ活動、遠藤賢司バンド [1988年~] の他にも、エンケン&カレーライス [1997年~](森信行[Ds] , 竹安堅一[G] , グレートマエカワ[B])、エンケン&アイラブユー [2007年~](森信行[Ds] , 大塚謙一郎[B])と、3つのバンドでの活動も並行して行う。

2003年には、エンケン&カレーライスで「FUJI ROCK FESTIVAL」、2007年には、遠藤賢司バンドで「ROCK IN JAPAN FESTIVAL」、2009年には、エンケン&カレーライスで「ARABAKI ROCK FEST」に出演。数千人規模の観客の前で唯一無二のパフォーマンスを見せ、拍手喝采を受ける。

2005年、アルタミラピクチャーズ制作による、映画「不滅の男 エンケン対日本武道館」の監督・主演・音楽を努める。日本武道館における無観客ライブの模様を映画化するという、前代未聞の音楽映画にして、人間ドキュメンタリーを作り上げる。

2007年、還暦を迎えるも、その創作意欲はなおも燃え続け、1968年から1976年までのライブ・秘蔵音源を詰め込んだ10枚組CD&DVD BOX『遠藤賢司実況録音大全 [第1巻] 1968-1976』を発売。発売後すぐに完売となる。このシリーズも以降リリースされ続けていくことになる。

2008年、CD『夢よ叫べ』(1996年)に収録された曲「ボイジャーくん」を基に、エンケンが歌うCDと歌詞、荒井良二氏のイラストがパッケージされた絵本「ボイジャーくん」を作り上げる。本のサイズはLPレコードと同サイズという仕様。

2009年、浦沢直樹原作の映画「20世紀少年 最終章 ぼくらの旗」に、ゲスト出演する。この作品の主人公=「エンドウケンヂ」は、『地球を守る“ケンヂ”といえば、“エンドウケンヂ”しかいない』ということで名付けられた。

2013年、宮藤官九郎監督・脚本の映画「中学生円山」に、徘徊老人役として出演。劇中にて「ド・素人はスッコンデロォ!」「おでこにキッス」も使用される。

2015年、デビュー45周年記念リサイタルを草月ホールで行う。また、同ライブの実況録音CDも発売される。

2016年、癌であることを公表するも、療養と並行しつつ音楽活動も続ける。
名盤『満足できるかな』発売45周年を記念し、同アルバムに多数のレア音源を加えた2枚組CD『満足できるかな デラックス・エディション』を発売。
それを記念して「遠藤賢司 with サニーデイ・サービス」で、このアルバムの再現ライブを行う。

2017年、全編ピアノ・インストによるアルバム『けんちゃんのピアノ画(スケッチ)』を発表。歌もギターも入れず、ピアノだけで純音楽の世界を作り上げる。

爆音の向こうにある静かな世界、静かに優しく囁いているのに凛とした緊張感に包まれている。遠藤賢司の音楽は叫ぶだけが“叫び”を表現する手段ではないことを教えてくれる。朗らかな日常を歌っていながら、多分に毒を含んでいたり、時としてエロティックである彼の音楽は、自分に正直だからこそ狭いジャンルの枠にとらわれずに大宇宙を謳歌している。そして、彼は決して難しい言葉を使ったり、安易に英語で言葉を誤魔化したりはしない。

自分自身の言葉とリズムで表現する

彼が提唱する“純音楽”の世界は、いつの時代にも人々の心を打ち、勇気を与えて続けてくれる。

(2017.05.29更新)