遠藤賢司歴史年表 1982年

2023年6月28日

遠藤賢司歴史年表 1982年(昭和57年)

1982年1月10日
映画「タイタンの戦い」観賞。

1982年1月13日
35歳の誕生日。

1982年1月23日
渋谷:TAKE OFF 7
2回公演(19:00/21:00)。

1982年2月9日
雑誌「Surf Magazine」取材。

1982年2月26日
渋谷:TAKE OFF 7
2回公演(19:00/21:00)。

1982年3月4日
有楽シネマにて映画「ブリキの太鼓」観賞。

1982年3月11日
池袋:ヤマハ
【演奏曲】
1「春のめざめ」TAPE
2「宇宙防衛軍」カラオケ
3「不滅の男」カラオケ
4「可愛い悪魔」
5「通好みロック」
6「UFO」
7「続東京ワッショイ」
8「喜びの歌」カラオケ
9「東京ワッショイ」

1982年3月17日
映画「ミラクル・ワールド ブッシュマン」観賞。

1982年3月26日
渋谷:TAKE OFF 7
2回公演(19:30~/21:00~)。

1982年4月1日
映画「ミッドナイトクロス」観賞。

1982年4月10日
浅草:電飾劇場「ASAKUSA DOWN TOWN FESTIVAL 1982. 3.31~ 4.11 浅草下町祭」
【出演】遠藤賢司、ヴァージンVS
【前座】東京モダンボーイズ
【ゲスト】長嶺高文
【演奏曲】
1「春のめざめ」TAPE
2「宇宙防衛軍」カラオケ
3「不滅の男」カラオケ
4「どうしてそんなにかわいいの」(遠賢[12弦AG])
5「白銀の翼」(遠賢[12弦AG])
6「可愛い悪魔」
7「通好みロック」
8「UFO」カラオケ
9「続東京ワッショイ」
10「東京演歌」
11「東京ワッショイ」

1982年4月13日
渋谷:ライブイン ’82
【出演】遠藤賢司、ウシャコダ
【演奏曲】
<第1部>
1「続東京ワッショイ」
2「東京ワッショイ」
3「カレーライス」
4「おでこにキッス」
5「白銀の翼」(遠賢[12弦AG])
6「満足できるかな」
<第2部>
7「春のめざめ」TAPE
8「宇宙防衛軍」カラオケ
9「喜びの歌」カラオケ
10「不滅の男」カラオケ
11「哀愁の東京タワー」
12「可愛い悪魔」
13「通好みロック」
14「UFO」
15「続東京ワッショイ」(遠賢+ウシャコダ)
16「東京演歌」
17「東京ワッショイ」(遠賢+ウシャコダ)
-アンコール-
18「可愛い悪魔」

1982年4月16日
プライベート録音?(テープ現存)
【録音曲】
「どうしてそんなにかわいいの」
「ロミオとジュリエット」
「ネコラ」[syn]
「寒い朝」
「おでこにキッス」
「ネコラ」[EG]

1982年4月22日
渋谷:TAKE OFF 7
【演奏曲】
<第1部>
1「寝図美よこれが太平洋だ」(遠賢[Uke])
2「ミルク・ティー」
3「カレーライス」
4「おでこにキッス」
5「どうしてそんなにかわいいの」
6「寒い朝」
7「ハード・フォーク・ブギ・ウギ」
8「満足できるかな」
<第2部>
9「可愛い悪魔」
10「通好みロック」
11「宇宙防衛軍マーチ」
12「宇宙防衛軍」
13「不滅の男」
14「UFO」
15「続東京ワッショイ」
16「東京ワッショイ」
-アンコール-
17「夜汽車のブルース」

1982年4月26日
ヘラルド試写室にて映画「ヘリウッド」試写会。

1982年4月28日
ヘラルド試写室にて映画「ヘリウッド」試写会。

1982年4月29日
川崎:岡田屋モアーズ「ヤング・ジャパン・フェスティバル」

1982年4月30日
ヘラルド試写室にて映画「ヘリウッド」試写会。

1982年5月6日
ヘラルド試写室にて映画「ヘリウッド」試写会。

1982年5月7日
ヘラルド試写室にて映画「ヘリウッド」試写会。

1982年5月8日
ヘラルド試写室にて映画「ヘリウッド」試写会。

1982年5月15日
渋谷:ライブイン ’82「遠藤賢司・越美晴ジョイントコンサート」
2回公演(19:00/21:00)。
【出演】遠藤賢司、越美晴

1982年5月27日
渋谷:TAKE OFF 7
2回公演(19:30/21:00)。

1982年5月30日
映画「狼男アメリカン」観賞。

1982年6月5日
映画「ヘリウッド」渋谷パルコ・シネマプラセットにて公開。

1982年6月17日
渋谷:Eggman「旧友再会フォーエバーヤングコンサート」
【出演】遠藤賢司、加川良、斉藤哲夫、高田渡、なぎら健壱、村上律、若林澄夫
※イベントは1982年6月14日~18日開催。
【演奏曲】
「東京ワッショイ」他?

1982年6月18日
渋谷:Eggman「旧友再会 フォーエバーヤングコンサート」
【出演】遠藤賢司、アルフィー、かまやつひろし、杉田二郎、猫、BUZZ、吉田拓郎
【演奏曲】
「東京ワッショイ」
「カレーライス」他?

1982年6月24日
プライベート録音。(テープ現存)
【録音曲】
「曲名不明」[syn]
「寒い朝」
「アンドレ」
「オムライス」

1982年7月5日
新宿京王にて映画「ロッキー3」観賞。

1982年7月11日
映画「ブレードランナー」観賞。

1982年8月15日
渋谷スカラ座にて映画「ポルターガイスト」観賞。

1982年9月27日
渋谷:TAKE OFF 7
2回公演。

1982年10月2日
新宿シネマⅡにて映画「炎のランナー」を観賞。

1982年10月2日
映画「TATOO [刺青] あり」「九月の冗談クラブバンド」観賞。

1982年10月4日
映画「トロン」観賞。

1982年11月3日
新宿:ACB「東京フリークス Vol.1」
【出演】遠藤賢司、有頂天、S-KEN、コンクリーツ、サニー久保田&クリスタルバカンス、近田春夫&ビブラトーンズ、東京ブラボー 他

1982年11月15日
映画「少林寺」観賞。

1982年11月30日
スカラ座にて映画「遊星からの物体X」観賞。

1982年12月8日
渋谷:Egg-man「ジョン・レノン・フォーエバー」
イベントは6日~8日開催、遠賢は8日出演。
【出演】
6日=リッキー&リボルバー、BEAT’S、松村雄策、HOTPOINT、Weekids、VIZION、関島秀樹、伊丹哲也、小柴大造、村田和人
7日=リッキー&リボルバー、ロブバード、BEAT’S、西松一博、岸正之、バンザイ・セッション・バンド、大野真澄、大久保一久、松村雄策、杉真理、VIZION、BINGO、WITH、鈴木雄大、バッド・ボーイズ
8日=リッキー&リボルバー、LADY BUG、VIZION、Weekids、BUDGE、WITH、BEAT’S、小柴大造&出川ディレクター、白井貴子、南佳孝、伊藤銀次、遠藤賢司、須藤薫、河合夕子、遠藤、BINGO
【演奏曲】
1「マイ・ウェイ」
※革ジャン着用。

1982年12月13日
渋谷パンテオンにて映画「E.T.」観賞。
「E.T.」は試写、(後に)水戸で、と3回見る。

1982年12月15日
雑誌「ARENA 37℃」取材でミッキー・カーティスと猫対談。

1982年12月17日
カラオケテープ制作。

1982年12月21日
原宿:クロコダイル
【演奏曲】
<第1部>年忘れ遠賢 ザ・カラオケ大行進
1「Jベル・スペースメン」カラオケ ※詳細不明
2「ブルージーンズメモリー」カラオケ ※近藤真彦の曲
3「ザ・ガードマン」カラオケ
4「通好みロック」カラオケ
5「白銀の翼」カラオケ
6「UFO」カラオケ
7「寒い朝」(遠賢[EG])
8「オムライス」(遠賢[EG])
9「哀愁の東京タワー」カラオケ
10「東京演歌」カラオケ
11「哀愁の東京タワー」カラオケ ※この日2度目
12「宇宙防衛軍」カラオケ
13「不滅の男」カラオケ
14「ブギウギI LOVE YOU」歌入りTAPE ※田原俊彦の曲
※正しい演奏曲順は不明。

<第2部>
1「可愛い悪魔」(遠賢[Syn])
2「可愛い悪魔」
3「可愛い悪魔」(遠賢[G][Vo])
4「おでこにキッス」
5「どうしてそんなにかわいいの」
6「続東京ワッショイ」
7「東京ワッショイ」
8「エンヤートット」
-アンコール-
9「歓喜の歌」
10「マイ・ウェイ」
11「グリーンスリーブス」
12「満足できるかな」

1982年12月26日
渋谷:Egg-man
【出演】遠藤賢司、松村雄策

1982年12月27日
新宿:ルイード?

1982年12月27日
事務所「ポケットパーク」の人たちと共に長野県高天ヶ原高原(志賀高原)スキー場へ行く。(~30日)
ルイード出演後、スキー場へ?
高天ヶ原ホテルに宿泊。

1982年12月31日
渋谷:Egg-man「Hallo 83 オールナイトロックパーティー」
【演奏曲】
1「歓喜の歌」カラオケ
2「宇宙防衛軍」カラオケ
3「不滅の男」カラオケ
4「東京ワッショイ」(遠賢[EG][Ds])
5「私のアンドレ・ザ・ジャイアント」


【その他の出来事】
長嶺高文監督の映画「ヘリウッド」(カラー・85分)に主演。音楽も担当。
【監督・脚本】長嶺高文
【出演】遠藤賢司、斉藤とも子、青地公美、羽仁未央、佐藤B作 他
『東京ワッショイ』『宇宙防衛軍』より5曲採用される。


【遠賢情報掲載誌】
●雑誌「ARENA 37℃」
連載対談「遠藤賢司の猫対談」
・連載1(1982年10月号・創刊号)「ゲスト=寝図美(主人=細野晴臣) 元祖ネコブームの仕掛人エンケンの愛猫“寝図美”は今、細野晴臣宅で太平の世をおくっている。」2頁
・連載2(1982年11月号)「ゲスト=フィエログリフ(主人=羽仁未央) 誰かさんが放任主義で天真らんまんに育ったように、未央ちゃんのフィエロもかなり……ね。」2頁
・連載3(1982年12月号)「ゲスト=アダム、銀次郎、マーク(主人=逸見泰成) ネコが3匹いれば天国、マリはしあわせ者でございます、ハイ。」2頁
●雑誌「日刊アルバイトニュース」
連載「いいかな諸君 私の目は節穴だ!」
・連載(1982年8月24日号)「-ブリリアントでプロレス編 第一章 第一節<ブリリアントでワンワンワン>」
 ※肩書きは“過激な音楽家”
・連載(1982年8月30日号)「第2章 早実の荒木大輔君は将軍家光様だ!」
 ※肩書きは“無根主義のマルチ作家”
・連載(1982年9月7日号)「-F・エリック引退記念寄稿文編 第3章 鉄の爪 対 16文」
 ※肩書きは“過激な音楽家”
・連載(1982年9月13日号)「第4章 檄!「プロレスは八百長だから嫌いだよ」としたり顔で言う馬鹿なお前さんに!吉日!PART1」
 ※肩書きは“無根主義者”
・連載(1982年9月20日号)「檄!プロレスは八百長だから嫌いだというバカなアナタへ!PARTⅡ」
 ※肩書きは“書くミュージシャン”
・連載(1982年9月28日号)「(第5章・タイトルなし)」
 ※肩書きは“芸術は爆発だヘアーの遠藤賢司”
・連載(1982年10月22日号[No.4530])「TV・コマーシャル 熱海後楽園でのニコッ~メンフラハップでのアハハハに至る 巨人軍江川卓投手の笑い方に於けるところの現代日本人の大考察!?? PART-1」
 ※肩書きは“SF+SM=SMFマルチ音楽作家”
・連載(1982年10月26日号)「TVコマーシャル 熱海後楽園でのニコッ~メンフラハップでのアハハハハに至る 巨人軍江川卓投手の笑い方に於けるところの現代人大考察! PART-2… 江川は日本のジャンヌ・ダルクだの巻」
 ※肩書きは“うどんみたいな男”
・連載(1982年11月1日号)「TVコマーシャル 熱海後楽園でのニコッからアハハハに至る 巨人軍江川卓投手の笑い方に於けるところの現代人大考察! PART-3 江川と握手をした男」
 ※肩書きは“超過激な音楽家”
・連載(1982年11月9日号)「燃える毛根……アントニオ猪木 対 ラッシャー木村のヘアーマッチの巻!」
 ※肩書きは“超過激な音楽家”
・連載(1982年11月27日・28日号)「激内乱!藤波 対 長州力の巻」
 ※以降、肩書きがなくなる。
・連載(1982年11月30日号)「タイトルなし」
・連載(1982年12月7日号)「タイガーマスク 対 小林邦明の巻」
・連載(1982年12月14日号)「これか! 男の? 1対3のトリプルプレイ ワァオーッ! アントニオ猪木 VS 国際トロイカ軍団の巻」
・連載(1982年12月21日号)「G・馬場さんへのお願い」
●雑誌「Surf Magazine」1982年4月号
・インタビュー「MUSIC INFORMATION 「カレーライス」がもっとも味がよくなった男。」4頁
●雑誌「新譜ジャーナル」1982年6月号
・記事「エンケン主演のSMF映画完成」
●雑誌「STARLOG」1982年2月号(No.40)
・記事「明るく笑って世紀末 見るものすべてファンタジーなのよ」1頁
 ※羽仁未央と長嶺高文の対談。
●新聞「日刊スポーツ」1982年11月9日付
・記事「レノン人気今もなお 三回忌、東京でファンクラブの集い」
 ※1982年12月6日~8日ライブ告知。
●雑誌「東京おとなクラブ」創刊1号 1982年7月7日発行
・記事「インタビュー 長嶺高文」6頁
 ※「ヘリウッド」について。
●雑誌「BLUTUS」1982年5月15日号(おそらく1982年)
・取材「特集=BRUTUSISM 離婚狂騒曲 第五番 BACHELORS FOR LIFE 一人になってヒット曲を作るのだ」
●単行本「フォーク・ロック驚天動地 陽気で粋な仲間たちの愉快な生活史」[編=フライング・ヤンキース、著=ポップミュージック研究会 ランダム出版] 1982年4月25日発行
※文中に度々登場。「井上陽水に主役を追われた遠藤賢司 当時の大スター、遠藤賢司の前座歌手だった井上陽水が、遂に主役の座を奪った日」「遠藤賢司 三田祭での奇跡 頭脳警察 VS はっぴいえんどの、ステージ上での乱闘の後、遠藤賢司が見せた奇跡のステージ」他。
●雑誌「Player」1982年3月号
・記事「PN」
※1982年2月26日ライブ告知。
●雑誌「Player」1982年6月号
・グラビア(写=伊島薫)「SCOOP」1頁
 ※立花ハジメと共に。
・グラビア「異次元の世界にトリップできるSFフリークス映画ヘリウッド」3頁
 ※「ヘリウッド」シナリオ抜粋。
・記事「PN」
 ※1982年5月15日、27日ライブ告知。
●雑誌「Player」1982年10月号
・記事「PN」
 ※1982年9月27日ライブ告知。
●雑誌「POPEYE」1982年1月25日号(No.119)
・記事「長嶺高文監督の『東京フリークス』は、ギャグもグロもミュージカルもちらほらのニューエンタテインメント。」
●雑誌「ミュージック・マガジン」1982年7月号
・執筆「プライベート・カセット イイカナ諸君!私の目はフシ穴だ!」1頁
●雑誌「週刊明星」1982年5月頃
・取材/写真「フォーク・ブーム復活なるか?いまミュージック・シーンに新しい波 拓郎 こうせつ コウタローらの熱情証言でつづる 歌った 燃えた 俺たちのフォーク・グラフィティー!! 女好きでスケベエで、金にはならなかった どっこい生きている派の証言」
●雑誌「週刊明星」1982年5月27日号
・記事「ニュース・スクランブル CINEMA “通好み”ヘンタイよい子に贈る『ヘリウッド』完成」
●雑誌「誌名不明」1982年?月号
・記事「ACTION JOURNAL 『ヘリウッド』これでも映画か、と長嶺監督の言い分をききたくなったのじゃ」
 ※長嶺高文インタビュー。


【チラシ その他】
●「ASAKUSA DOWN TOWN FESTIVAL 1982.3.31~4.11 浅草下町祭」ポスター
 A3・モノクロ・両面(裏面は広告)
●「ヘリウッド」映画チラシ
 B5・カラー・両面


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